固有性という幻

固有性という幻

世界はどこから生まれるのか

 

要約:色や音、幸福や自我は、物理的に固有の性質ではなく、脳内で関係が安定した結果として立ち上がる収束点にすぎない。ユクスキュルの環世界やグロタンディークの数学が示すように、世界は前提ではなく関係の切り方から生まれる。世界とは、関係の網を「世界だ」と信じた瞬間に現れる幻影である。>

固有性は説明の終点ではない

まずから考えてみる。

物理的に存在するのは、電磁波の波長分布だけである。
そこに「赤」という情緒的でわかりやすい属性は、実は含まれていない。
赤は世界に貼り付いているラベルではない。

照明や文脈が変わるだけで、同じ刺激が別の色に見える。
この事実は、色が対象の属性ではなく、
脳が差分を取り、補正をかけた計算結果であることを、わりと正直に物語っている。

も同じだ。

絶対音感というと、「音そのものを直接つかんでいる特殊能力」
のように語られがちだが、実際はそうでもない。
幼少期に作られた基準体系が脳内に固定され、
音高が瞬時にそこへ吸い寄せられているだけである。

調律が変われば怪しくなり、
文化が違えば通用せず、
年を取れば静かに消えていく。

音高もまた、物理的な固有性ではなく、
関係がたまたま安定している地点にすぎない。

幸福や自我も、構造は同型だ。

幸福は、比較・期待・時間配置の関数として、
しばらくのあいだ立ち上がる収束点である。
自我は、記憶・予測・言語・身体信号が作る焦点にすぎない。

単独で存在する幸福も、
裸で立っている自我も、
探してもたぶん見つからない。

固有性とは、
関係処理があまりに高速かつ自動化され、
その関係性そのものが主観から消えてしまった状態の名前である。

<世界は前提ではない>

この構造を、生物学の領域で最初に明確に示したのが、
ヤーコプ・フォン・ユクスキュルである。

彼は、生物が一つの共通した世界に住んでいる、
という素朴な前提をあっさり外した。
生物はそれぞれ、感覚器と神経系に応じた
固有の環世界(Umwelt)を生きている。

ダニの世界は、
匂いと温度と触覚だけから成る。
そこには風景も意味もない。
だが、ダニにとってはそれで十分に「世界」なのだ。

世界は外にあるのではない。
関係の切り方として立ち上がる。

同じことを、まったく別の場所で徹底したのが、
アレクサンドル・グロタンディークである。

彼は、点や対象を前提にせず、
射(写像)や保存関係の網を一次的なものとして
数学そのものを組み替えた。

数学的対象は、最初からそこに鎮座しているわけではない。
関係の網が十分に安定した結果として、
あとから「それっぽく」浮上してくる副産物にすぎない。

生物学と数学。
分野は違うが、到達点は驚くほど似ている。

<結論:世界は信じた瞬間に立ち上がる>

対象が先にあるのではない。
関係の取り方が先にあり、
固有性・意味・自我・幸福は、その結果として現れる。

世界も同じである。

世界は、最初から実体として存在するのではない。
関係の網が十分に一貫し、
それを「世界」として信じた瞬間に、
ようやく像として立ち上がる。

世界など存在しない。
あるのは関係の網だけで、
世界とは、それを信じたときに発生する幻影である。

これは虚無主義ではない。
「どうせ何もない」という話ではない。

むしろ、
世界を「あるもの」として扱う前に、
なぜ世界が立ち上がってしまうのか、
その生成条件を問うための、
最小限で、そしてかなり冷静な現実主義である。

This website uses cookies.