『吾輩は猫である』のスピンオフ小説、『わたくしは猫ですの 』

わたくしは猫ですの

三毛子覚書

一 名前

わたくしは三毛子ですの。名前はございます。

御師匠さんがそう呼んでくださいますから、別に不自由はしておりません。名があるから偉いとも、名がないから深いとも思いません。ただ、呼ばれれば顔を上げます。鈴が鳴れば、御師匠さんがこちらを見ることもございます。

名というものは、少し鈴に似ております。

鳴れば誰かが振り向きます。けれど、それで鼠が取れるわけではございません。

近所に「吾輩は猫である」と申す先生がいらっしゃいます。

先生は名がないことを、たいそう重々しくお考えです。名がないというのは、たしかに風流かもしれません。けれど、わたくしから見ますと、先生は名がないことよりも、「名のない自分」のことをよくお考えです。

名のある猫より、名のない猫の方が、かえって名にこだわっていることもあるのではないかしら。

そのようなことを申しますと、先生はきっと髭を動かして、

「三毛子君、それは名辞論上、少々軽率なる観察である」

などとおっしゃるでしょうから、わたくしはたいてい黙っております。

黙って、鈴を鳴らします。

先生はそのたびに、

「三毛子君の鈴はなかなか趣がある」

とおっしゃいます。趣というものが何かは存じませんが、鳴ればよろしいのでございましょう。

二 先生

先生はよく、人間のことをお話しになります。

人間は愚かである。

人間は不可解である。

人間は文明に酔っている。

人間は己を知らぬ。

それは、まあ、そうでございましょう。人間はたしかに変な生きものです。食べる前に理屈をつけ、眠る前に悩みます。腹が立つと難しい言葉を使い、黙れば済むところで議論を始めます。

けれど先生も、人間を笑いながら、人間の言葉をずいぶんお召しになっているように見えます。

ある日、先生は縁側で毛をなめながら、こうおっしゃいました。

「三毛子君、人間というものは、実に不可解な動物である」

「まあ先生」

わたくしは先生のにおいを嗅ぎました。少し熱がこもっております。人間を批評する時の先生は、いつもいくらか体温が上がるように思われます。

先生は人間をご覧になる時、先生ご自身も少し前へ出ておいでです。人間を見るはずが、いつの間にか「人間を見ている先生」を見せておいでになる。そういう時の先生は、ひげを動かすより先に言葉が出ます。

「人間は言葉で自分を飾る。実に哀れな生き物である」

先生の尻尾が、ゆっくり左右に動きました。

「わたくしは、匂いで読みますわ」

「匂い?」

先生の耳がぴくりと動きました。

「ええ。御師匠さんの手は、朝は墨のにおい、夜は少し酒のにおいがします。苦沙弥先生のお宅は、いつも本と埃と、胃薬と、少しだけ寂しいにおいがいたします」

先生は鼻を鳴らしました。

「それは単なる感覚に過ぎん。吾輩はもっと深く、言葉で人間を解剖するのである」

「まあ」

わたくしは首を傾げました。

「先生のお言葉には、いつも小さな鈴がついているようですわ」

先生の尻尾の先が、ぴくりと動きました。 「三毛子君、それは比喩としては面白いが……吾輩は言葉を鳴らしているのではない。言葉を使用しているのである」

「そうでございますか」

「でも先生のお言葉は、先生がいらっしゃることを、すぐ知らせてしまいますわ」

先生は黙りました。

ちょうどその時、台所から鰹節のにおいがいたしました。先生の沈黙が哲学によるものか、鰹節によるものかは、わたくしにはわかりませんでした。

ただ、先生の鼻が少し動いたことだけは、たしかでございます。

わたくしは先生をお慰めしようとは思いませんでした。慰めるには、先生のお言葉を信じなければなりません。わたくしはそれより、先生の尻尾を見る方が確かだと思いました。

三 鈴

御師匠さんは、わたくしをよく可愛がってくださいます。

赤い布に小さな鈴のついた首輪を買ってくださいました。歩くたびに、ちりんと鳴ります。わたくしはその音が嫌いではございません。鈴が鳴ると、御師匠さんがこちらを見て、「三毛子や」と呼んでくださいます。

呼ばれるというのは、不思議なものです。

同じ「三毛子や」でも、朝の声と夜の声とは違います。餌をくださる時の声と、わたくしを探しておいでの時の声とも違います。同じ音なのに、置かれる場所が違えば、こちらの耳に届くものも違ってまいります。

人間の言葉というものも、そういうものではないかしら。

先生は、わたくしの鈴をご覧になって、少しむずかしい顔をなさいました。

「三毛子君は、実に幸福な境遇にある」

「そうかもしれませんわ」

「吾輩などは、名もなく、地位もなく、ただ冷たい世間の中を独立独歩しているのである」

「まあ。でも先生、苦沙弥先生のお宅でご飯をいただいていらっしゃるのでしょう?」

先生は、少し横を向かれました。

「それは便宜であって、依存ではない」

「そうでございますか」

「便宜である。依存ではない」

先生は同じことを二度おっしゃいました。二度おっしゃる時は、たいてい少し依存している時でございます。

ところが、その時ちょうど、塀の上で昼寝をしていた大きな黒猫が、片目を開けて先生を見ました。それから鼻で笑いました。先生は見なかったふりをなさいました。

独立独歩というものも、台所の残り飯と、黒猫を見なかったことにする技術があってこそ成り立つものかもしれません。

けれど、あまりはっきり申しますと先生のお心を傷つけますから、わたくしは鈴を一つ鳴らすだけにいたしました。

夕方、御師匠さんが奥から呼びました。

「三毛子や」

わたくしは思わず顔を上げ、立ち上がりました。

鈴が、ちりん、と鳴りました。

それから、台所の方へ小走りにまいりました。

後ろで先生が、大きなあくびをなさいました。少し、わざとらしいあくびでした。

「三毛子君も、なかなか束縛されている」

「そうでございましょうね」

「名、鈴、食物、膝。皆、立派な鎖である」

「先生は鎖がお嫌いですのね」

「無論である。猫は本来、自由なる動物である」

「では先生は、鼠をお取りになりますの?」

先生は耳を伏せました。

「鼠を取るばかりが猫の本分ではない」

「まあ」

「猫にも精神生活というものがある」

「そうでございますか」

「鼠々と騒ぐのは、猫を台所的にのみ解釈する弊に陥っておる」

先生はそうおっしゃいましたが、尻尾は少し縮こまっていました。

わたくしは台所へまいりました。鰹節はすでに皿の上にございました。

哲学より早いものも、世の中にはあるのでございます。

わたくしが先生をやりこめたのではございません。鰹節が、少し先に着いただけでございます。

先生のお話は、いつも終いまで聞くわけではございません。途中で鰹節が匂えば、台所へ参ります。それでも先生のことは、少しはわかるような気がいたします。

全部聞かなければわからないというのは、人間の不自由でございましょう。猫は少し嗅いで、少し眠って、あとは日なたに任せます。

猫も長く人間のそばにいれば、人間のにおいが移ります。

人間も長く猫を抱いていれば、少し猫の毛がつきます。

どこからが猫で、どこからが人間かは、思うほどはっきりしていないのかもしれません。少なくとも毛とにおいは、そんな区別をいたしません。

世の中とは、そういうものでございましょう。

四 日なた

御師匠さんのお弟子が二人、縁側の近くで言い合いをしておりました。どうやら、稽古の順番をめぐって、一人が先に座ったのを、もう一人が咎めたようでございます。

「失礼です」

先に座った娘は、顔を赤くしてそう申しました。その声は、今にも泣きそうでございました。

「失礼です」

咎めた方の娘も、同じ言葉を返しました。こちらの声は、猫が爪を立てる時の声に少し似ておりました。

同じ言葉でも、ずいぶん違って聞こえるものです。

先生にそれを申しますと、先生は得意そうに髭を動かしました。

「それは言語の複雑さである。人間の言葉は、単なる音声ではない。使用される場によって機能が変わるのである」

「まあ」

「三毛子君には少し難しいかもしれん」

「でも先生」

わたくしは、御師匠さんの方を見ました。御師匠さんは、黙って琴の糸を直しておいででした。

御師匠さんは、二人を叱りませんでした。ただ、琴の糸を直す手を止めて、二人の方を一度だけご覧になりました。

すると、お弟子さんたちは急に声を小さくしました。

「御師匠さんが黙っておいでの時の方が、お弟子さんたちはよくわかるようですわ」

猫の世界では、長く鳴く猫ほど偉いとは限りません。

長く鳴く猫は、たいてい何か欲しいだけでございます。

そのあと、先生はまた人間の文明についてお話しになりました。

「三毛子君、文明とは厄介なものである。人間は文明によって進歩したつもりでいるが、その実、文明に使われている」

「まあ」

「学校、新聞、役所、金銭、家庭、すべて人間を縛る網である」

「そうなのでございましょうね」

「猫にはそれがない。ゆえに猫は自由である」

わたくしは、日なたで少し伸びをしました。

「先生」

「何かね」

「猫にも、からだがございますわ」

先生はわたくしを見ました。

「からだ?」

「ええ。寒ければ丸くなります。お腹がすけば鳴きます。眠くなれば眠ります。風邪をひけば弱ります。猫は文明には縛られませんけれど、からだには縛られております」

先生は、しばらく何もおっしゃいませんでした。

それから小さく、

「それは自然の制約である」

と申されました。

「そうでございましょうね」

「文明の束縛とは別問題である」

「そうかもしれませんわ」

「論理的には区別すべきである」

「ええ」

わたくしは、また伸びをしました。

「でも先生、寒い時は、論理も丸くなるのでございましょう?」

先生は黙りました。

その沈黙が、納得であったのか、不満であったのか、眠気であったのかは、わかりません。先生はしばらくすると、日なたの具合を吟味するように前足を伸ばし、それから、たいへん自然に丸くなりました。

わたくしの言葉が届いたのか、日なたがよかったのかは、わたくしにはわかりません。

その日は、先生は珍しく長い議論をなさいませんでした。

わたくしの隣に座り、黙って日なたに当たっておいででした。

黙っている先生の方が、いつもの先生より、少しよくわかるように思われました。

言葉は、時に猫と猫の間へ入り込みます。

日なたは、そういうことをいたしません。

その時の先生は、人間を観察する猫でも、文明を批判する猫でも、名のない猫でもございませんでした。

ただの猫でございました。

わたくしは、それがいちばんよいと思いました。

五 風邪

そのころから、わたくしは少し咽喉を悪くいたしました。鳴こうとしても、声が喉の奥でしくしくと戻ってしまいます。

はじめは何でもないと思っておりました。猫は少し寒ければ丸くなればよいのです。御師匠さんも「三毛子や、風邪を引いたのかえ」とおっしゃって、わたくしを膝にのせてくださいました。

膝は暖かく、手はやさしく、鈴は時々、思い出したように鳴りました。

けれど、からだというものは、議論では直りません。

先生のお言葉は、たいていのものを一度は高いところへ持ち上げます。けれど、喉だけは持ち上がりませんでした。声はいつも、からだの奥で小さく引っかかっておりました。

先生がある日お見えになりました。いつものように人間の悪口をお持ちになったのかと思いましたが、その日は珍しく、わたくしのそばに坐ったまま、何もおっしゃいませんでした。

「先生、今日は人間をお忘れですの?」

「今日はよい」

先生はそう申したきり、わたくしの丸くなった背中を見ておいででした。しばらくして、小さく、

「風邪もまた、自然の制約であるな」

とおっしゃいました。

「そうでございましょうね」

わたくしは、少し笑いたくなりました。先生は、黙っていても、やはり先生でございます。

その夜、御師匠さんが何度も「三毛子や」と呼んでくださいました。声が少し震えておりました。

名のある猫も、名のない猫も、咳をすれば同じように縮こまります。けれど、呼ばれる声が暖かい時は、名もそう悪いものではございません。

先生は障子のそばに、妙にまじめな顔をしておいででした。あれではまるで人間のようでございました。

わたくしは鈴を鳴らそうと思いました。

けれど、首が重くて、音はほんの少ししか出ませんでした。

ちり、と鳴りました。

その音に名はございません。

先生の耳が動きました。

それで十分でございました。

This website uses cookies.