書籍レビュー『日本人が立ち返る場所(養老孟司・内田樹)』

概説

本書は、養老孟司と内田樹の対談を通じて、共感・感情・情報に過剰適応した現代社会を、身体と自然の側から捉え直す一冊である。両者の立場は大きく異なり、政治や社会への距離感も一致しない。だが、感情や共感を知性の基盤に置かず、身体・物・雑さを通じて本質へ近づこうとする点では深く重なる。本稿では、この対談を「共感しない知性」と「物が落ちた世界」への批評として読む。


 

 

他人の感情を読み、空気を察し、正しさに同調する能力が、知性であるかのように扱われている。その結果、言葉と情報は増殖したが、世界の手触りは希薄になった。

本書は、そうした状況に対して明快な態度をとる。共感しない。慰めない。寄り添わない。

そのかわり、思考が軽くなる。本書は、表面だけ見れば日本論や政治論に見えるが、最深層にあるのは「人間はいかにして本質に至るか」という問いである。

対談者である養老孟司と内田樹は、語り口も立ち位置も異なる。養老は花鳥風月の人であり、人間社会や政治にほとんど関心を示さない。一方の内田は、政治的発言を厭わず、社会の内部から言語化を試みる公共知識人だ。本書前半では、その非対称性が目立つ。政治の話題では内田が語り続け、養老はほとんど距離を取る。対談としてのバランスは良くない。

だが、この噛み合わなさ自体が面白い。なぜなら、両者の思考が交差する地点は、政治でも制度でもなく、身体だからだ。

養老が幾度となく過去の著書で語ってきたように、社会はどこか信用できない。教科書に墨を濡らされ、頭上に焼夷弾が降った養老にとって、理念や教義は脆弱すぎるのだろう。だから彼は、生涯のほとんどにわたって普遍性を自然や身体に求めてきた。感情は当てにならない。共感は再現性がない。判断の基盤にはおけないものだ、と。

重要なのは、養老が身体を重視しながら、感情を切断している点である。感情は身体的体験であるにもかかわらず、彼はそれを信用しない。身体は信じるが、感情は信じない。この割り切りが、養老の思考を異様にクリアにしている。

同じ結論に、内田はまったく別の経路で到達している。本書で内田は自身を「共感性が低い」と語り、感情に頼らず、他者の感情を観察し、類型化し、データベース化してきたと言う。共感に乏しいからこそ、構造が見える。内田は、倫理や共同体は、共感ではなく制度として設計されるべきだと考える。内田はレヴィナスの研究者だが、この立場は共感に基づかない他者との関係を構想したレヴィナスの思想と自然に接続する。

ここで本書は、日本社会の前提を軽やかに裏切る。

本質に至るために、共感は不要だ、と。

日本は共感共同体であり、空気と情で動く社会だ。だからこそ、感情を信用せず、共感をノイズとして扱うこの二人の思考は、日本的ではない。しかし、その非日本性こそが、彼らの知性を自由にしている。評価軸を外部に置かず、誰かが代わりに言ってくれると期待しない。独創性とは、その態度の副産物にすぎない。

後半で、この姿勢は「雑」という概念に接続される。

雑とは、いい加減さではない。情報を遮断し、飛ばし読みをし、忘却し、ときに誤読さえする力のことだ。すべてを理解しようとしない態度。それは外部の評価軸に最適化されない姿勢である。それは自分の価値観に忠実である、という知性の現れだ。雑さとは、自己本位であることの洗練された形とさえ言える。

AIとの対比は、この点を際立たせる。AIはすべてを読む。忘れない。誤読しない。だが、それゆえに雑になれない。構造は模倣できても、思想にはならない。AIの世界は文字と情報の世界であり、物の世界ではない。物の世界には最初から限界がある。ところが都市化と情報化が進む中で、現実から「物」が落ちた。花鳥風月が背景化し、身体的な制約が消え、人間関係と情報だけの世界が成立する。

政治の話題も、ここに収束する。自然環境を見ない政治が成立するのは、個人の資質というより、都市的な世界の仕様だ。かつて養老はそれを『唯脳論』と呼んだ。対人関係だけで世界が完結する社会では、二項対立が加速する。原因は政治でもAIでもない。「物が落ちた世界」そのものである。

だから養老の処方箋は、現代版「参勤交代」になる。これは、一定期間、都市を離れ、田舎で暮らす。身体を環境に放り込むことを意味する。言語で直せないなら、身体に戻れ。それは養老が声が枯れるほど繰り返してきた私たちへのメッセージだ。

終盤、内田の口から語られる「完全な文明はあり得ない。唯一残る自然は身体」という言葉は、養老が長年語ってきた身体論そのものだ。人工的な環境に追い詰められても、身体だけは自然物であり続ける。ここにおいて、内田と養老は完全に合流する。

本書は、答えを与えない。ただ、余計なものを削ぎ落とす。

共感を切り、感情を外し、雑でいる。その結果、思考は驚くほど身軽になる。

その生き証人がふたり、ここにいる。

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