書籍レビュー『矛盾と創造(小坂井敏晶著)』

概説

本書は、創造性を才能や閃きとしてではなく、人間が思考を止めるために作ってきた最終根拠を解体し続けた先に生じる副産物として描く一冊である。自由意志、主体、同一性、科学的事実、正義、規範、赦しといった概念は、私たちが安心して立ち止まるための装置でもある。小坂井敏晶は、それらを一つずつ取り外し、読者を矛盾と不安定さの中に置き去りにする。本稿では、本書を「創造性の本」ではなく、「思考停止を不可能にする本」として読む。

 


 

この本を読むと、「なるほど」で終われない。終われないように設計されている。読者がどこかで安心して思考を止めようとすると、その停止点そのものを抜き取ってくる。しかも丁寧に諭すのではなく、淡々と、しかし容赦なく。

 

本書は「創造性」の本ではない。「人間理解」や「社会心理学の入門書」でもない。本書が一貫して行っているのは、人間が思考を止めるために発明してきた装置――自由意志、主体、同一性、民族、科学的事実、平等、神、正義、規範などの「最終根拠」を片端から解体する作業だ。特定の思想を殴るのではない。私たちが無意識に“ここで止まっていい”と感じる場所を、全部燃やしていく。

 

小坂井は創造を美化しない。創造は才能でも閃きでもなく、矛盾に直面し、それを妥協的に処理せずに居座った結果として後から生じる副作用にすぎない。だから「どうすれば独創的になれるか」という問い自体が的外れだ。比較と評価を前提にした瞬間、創造は市場に回収され、問いは死ぬ。残るのは「自分にとって避けがたい問い」を追い続けることだけで、創造性は目的ではなく、逃げなかった結果として事故のように生じる。

 

科学論でも同じ姿勢が貫かれる。実験は理論を確認するためではない。理論の内部矛盾を露出させ、慣れ親しんだ世界像を破壊する装置である。理論と実験が整合していることが進歩の証拠という通俗は切り捨てられ、重要なのは理論が沈黙する瞬間、説明不能な結果に直面したときの衝撃だ。再現性危機や出版バイアスも、倫理で断罪されるべき不祥事ではなく、科学が集団営みである以上ほぼ必然の構造として記述される。ここでも彼は「怒る」より先に「どう作動しているか」を置く。

 

中盤以降は自由意志と主体の解体に入る。意志は行為の原因ではなく、無意識過程が先行し、行為とほぼ同時に「私は決めた」という感覚が生成される。この時間差が主体的選択の錯覚を生む。さらに「コギト(デカルトの有名な命題『我思う、ゆえに我あり』)」の飛躍が指摘され、〈私〉は実体ではなく、その都度生成される現象(虹のように感知されるが、どこにも存在しない)として扱われる。ここでの狙いは哲学遊戯ではない。主体が揺らげば、責任、罰、自己責任、格差の正当化といった近代の基本語彙が連鎖的に崩れるからだ。神は死んだが、正当化の外部は死んでいない。外部は「自由意志」「責任」として個人の内部へ擬態し、社会は生贄のメカニズムを不可視化する。

 

後半でさらに危険なのは、規範・正義・赦しが俎上に乗る点だ。殺人や強姦が「議論の余地なく悪」とされるのは、理由が明白だからではなく、むしろ理由を問うことが危険で面倒だから思考が停止するのだ、という反転が提示される。規範論は雨乞いの踊りであり、祈りは偶然を運命に変換する呪術だ。独創と犯罪が同根だ、という挑発も、英雄/悪人の分類が行為の必然ではなく社会の評価関数で決まるという指摘として読むと筋が通る。赦しは正義でも論理でもなく、与える必要のないものをあえて与える贈与にすぎない。正義でも被害者性でも赦しでも、気持ちよく止まる場所は与えられない。

 

ただし本書は冷笑に落ちない。著者は家族の死と遺産相続、罪悪感と身体反応を語り、神も運命も否定しながら、なぜ感情が生じるのかを自分の身体で引き受ける。相対主義は感情を消さない。思考停止を拒否することは救済を放棄することでもある。そのコストが生活の温度で示されるから、議論が単なる観念にならない。

 

終盤では<欠如>が肯定される。自己完結した個人が集まっても共同体は生まれない。不足のおかげで運動が生まれ、変化が可能になる。そして彼は、どこでも自然に適応する「国際人」ではなく、どこにいても違和感を覚える異邦人でありたいと言う。常識は目を眩ませる。だから違和感の位置に居続けること自体に意義がある。教育の章で「細かく教える能力が自分にはなかった」と告白し、結局できたのは例を示すことだけだった、と語るのも象徴的だ。教育は相手が卒業すれば終わるが、自分は卒業して消えてくれない。だから「自分相手に説明の手を抜くことはありえない。自分が納得しなければ話が終わらない」と書く。創造とは、逃げ場が尽きた結果として残る。

 

本書は不親切だ。慰めも処方箋も希望もほとんど与えない。だがそれは怠慢ではない。「ここで止まっていい」と言ってくれる装置をすべて破壊した上で、読者を放り出すからだ。残るのは矛盾と不安定さだけ。しかし創造が生まれるとすれば、そこからしか生まれない。本書は思想を与える本ではない。思考停止を不可能にする本である。その不親切さ、その冷酷さ、その容赦のなさこそが、本書の最大の誠実さだと私は思う。

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