無(最高の状態)

(最高の状態)鈴木祐著

レビュー

本書のテーマは、「精神状態をよくする方法」。

そのための方法として「自己を消す(=無)」ことが論じられる。

ようするに「自分を消せばいい気分になる」ということだが、これだけではアブない本だと誤解されそうなので、もう少し説明したい。

古来から、仏教などでは「心を落ち着かせる方法論」が実践されてきた(瞑想は、その代表例)。

しかし、そうした方法論の根拠を科学的に示すことは最近まで困難だった。

本書の特徴は、古来から行われてきた瞑想のような実践の根拠を科学的に論じている点にある。

宗教と聞くと「何だか、うさんくせーな」と身構える日本人は多いと思うが、科学的な論拠と出典が明記された本書は、(宗教ではなく)サイエンスの書棚に分類されるべきだろう。

本書のキーワードは、「自己」である。

自己とは「私はつねに同じ人間だ」という感覚のことで、自己にこだわる人ほど心を壊しやすいと本書で述べられている。

それなら、自己を消す(自己を「無」にする)ことが心の安寧につながったとしても、不思議ではない。

本書の紙面上では様々な科学用語や仏教用語が踊っている上に「自己とか世界は幻想」みたいなことも書かれているので、読んでもピンと来ない人も多いだろう。

しかし、それらすべてを理解する必要はないと思う。

本書の核心は<「心の平穏を得るには自己を消すことが大事」で、そのためには「自己以外のもの(呼吸など)に意識を向けるといい」>という点にある。

もちろん本書は、読んで満足するだけではそれこそ「無」意味であり、「実践」してこそ効果がある

それにしても人間とはなんと皮肉な生き物なのだろうか。

「発達した」脳をもってしまったがゆえに「自己」のごとき余計なことを四六時中考え続けて精神をすり減らし、へろへろに弱ってしまうのだから。

動物たちを見ていると、かれらがすでに「無我」の境地に達しているように私には見える。

そのことを私は、うらやましくさえ感じる。

「無我の境地」とは、人間であることを一時的に捨てて動物(あるいは子供)に戻る、ということではないのだろうか?

人として生きるということは、病んだ脳が生み出す幻想(例:「自己」や「物語」)を見て右往左往し続けながら一生を終えるということではないのか?

「無」の境地とは畢竟、私たちが「正気」に戻れる瞬間のことなのかもしれない。

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