カール6世の死は本当に毒キノコか?

 

要約

神聖ローマ皇帝カール6世(1685-1740)は毒キノコを食べて死亡したとされるが、典型的なキノコ中毒の症状である黄疸が見られず、疑問が残る。代わりに考えられるのがヒ素中毒で、彼の症状(嘔吐、衰弱、一時回復後の悪化)はヒ素による毒殺医療ミスと一致する。

当時、ヒ素は治療薬としても使われており、キノコ中毒の「治療」として投与された可能性もある。また、彼の死後、マリア・テレジアの即位を巡って戦争が勃発したことから、暗殺を疑う余地はある。遺体を調査すればヒ素の痕跡が見つかるかもしれない

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カール6世神聖ローマ皇帝(1685-1740年)で、狭義のハプスブルク家最後の皇帝である。彼はハンガリー国王とボヘミア国王を兼ねていた。「マリア・テレジアの父」あるいは「マリー・アントワネットの祖父」と言ったほうがわかりやすいかもしれない。彼の死因は一般的に毒キノコによるものとされている。実際にそうだったのかもしれないが、やや疑問も残る。

なぜなら私がかつて大学の公衆衛生の授業で「キノコ中毒の特徴は致死率の低さにある」と学んだからだ(いかにもキノコ好きが多い日本らしい教育内容ではある)。じっさい、毒キノコで死んだ著名人は、世界史をひもといても、ほとんどいない

1740年、カール6世は毒キノコを食べたことにより死亡したとされている。これに関する詳細は、ウィリアム・コックスによる歴史的記述に基づいており(ソース:ドイツ語版ウィキペディア『カール6世 [Karl VI. (HRR)]』の32番目のリファレンス)、その内容は以下の通りである。

  • カール6世は大量のキノコを食べた後、消化不良に見舞われ、繰り返す嘔吐と夜通しの激しい痛みに苦しんだ。
  • 非常に虚弱な状態となり、ウィーンに戻る途中で何度も意識を失った。
  • ウィーンに到着して医療を受けた後、一時的に回復の兆しを見せたが、再び高熱が戻り、以前から苦しんでいた痛風の症状も再発した。
  • その後の容体の悪化は急速であり、まもなく彼は亡くなった。

この経過は、一見するとアマニタ・ファロイデス(死の天使)による毒キノコ中毒と一致しているようにも見えるが、肝臓の障害による黄疸など、このキノコによる中毒の典型的な症状が記述から欠けている。このことから、キノコ中毒だけが死因とは限らない可能性が示唆される。もしキノコ中毒でない場合、ヒ素などによる毒殺や医療ミス、感染症なども考えられる。

もしヒ素だとすると、上記の記述の中の消化器系の不調、嘔吐、激しい痛み、極度の衰弱、意識喪失などがヒ素中毒の典型的な症状と一致する。また、一時的な回復とその後の急激な再発も、ヒ素中毒の経過として報告されている。

また、カール6世の死に利益を得る勢力は多く、毒殺説に一定の説得力が加わるようにも思う。事実、彼の死後、マリア・テレジアが帝位を継ぐやいなや、「女が皇帝位を継ぐなんてけしからん!」と憤慨したドイツ諸侯やスペイン王が難癖をつけ、さらにプロイセンとフランスがこれに同調して、オーストリア継承戦争が始まったことは、日本の高校の世界史教科書にも書いてある事実だ。ちなみに、ハプスブルク家の要人の中には暗殺された者が何人もいる(アルブレヒト1世、エリザベート皇后、フランツ・フェルディナント大公)。

中世から20世紀に至るまで、ヒ素は「毒物の王者」と呼ばれ、毒殺に頻用されていた。無味無臭で気づかれにくい上に、入手しやすかったからだ(ソース『Quackery: A Brief History of the Worst Ways to Cure Everything』Lydia Kang著)。そのため、もし毒殺が原因であれば、使用されたのはヒ素である可能性が高いと考えるのが自然だろう。

さらに、18世紀にはヒ素が治療薬として広く用いられており、カール6世がキノコ中毒にたいする「治療」と称してヒ素を服用させられ、それが原因で死んだ可能性も考えられる。つまり医療ミスだ。

カール6世の遺体はウィーンに埋葬されており、現代の技術を用いれば、彼の骨や髪の毛からヒ素を検出できるかもしれないナポレオンの遺体も検査によりヒ素が検出されている)。ヒ素は安定した元素であり、数百年経っても体内組織や骨に残存している可能性があるからだ。前述のように当時ヒ素は「治療薬」としてよく使われていたので、ヒ素が検出されたからといってそれが死因とは断定できないが、ヒ素による死亡の間接的な証拠にはなりうるのではないか。いちどカール6世の遺体を掘り起こして調べてみてほしい。謎が余計に深まりそうだが。