2080年代に伊藤詩織の像が神奈川県に建つ理由

序論:未来の日本、ジェンダー問題、そして伊藤詩織像
2080年代、神奈川県某所——そこには銅像が立っている。観光客がスマホで記念写真を撮り、地元の子どもたちがその足元を走り回る。その銅像の人物こそ、かつて日本社会を揺るがせたジャーナリスト、伊藤詩織。
「そんな未来、本当に来るのか?」と思うかもしれない。だが、歴史を振り返ると、社会変革者の評価というのは「生きているうちは叩かれ、死んでからようやく称賛される」という不条理なプロセスをたどるのが定番だ。ローザ・パークス然り、マルコムX然り、「お前たち、生きてる間にもうちょっと褒めてやれよ!」とツッコミたくなるパターンは枚挙にいとまがない。
では、なぜ伊藤詩織の銅像が2080年代に建つのか? なぜ今ではないのか?なぜ神奈川県なのか? 本エッセイでは、歴史の法則、日本社会の特殊性、そして銅像という存在の奥深いロジックに基づき、この未来のリアリティを探ることにする。
1.伊藤詩織と『Black Box Diaries』の波紋
伊藤詩織が2017年にレイプ被害を告発したとき、日本社会の反応は「冷たい」というより「極寒」だった。告発者は叩かれ、告発された側はなぜか守られる。国際社会は「え、日本ってまだそんな感じ?」とドン引きし、日本国内では「日本の恥を晒すな!」という意味不明なナショナリズムが発動。
そして最近、彼女のドキュメンタリー映画『Black Box Diaries』が登場。再び大炎上の幕開けだ。映画の内容は「性犯罪被害の可視化」なのに、「無断で録音や映像を使ったのは倫理的に問題じゃない?」という批判が巻き起こる。これ、よく考えてみるとスノーデンやウィキリークスの構図と一緒だ。
- スノーデン:「NSAの監視プログラム、ヤバいぞ!」→「お前、国家機密を漏らしたな!」
- ウィキリークス:「政府の欺瞞を暴く!」→「お前ら、機密情報の扱いヤバくね?」
- 伊藤詩織:「性犯罪被害の現実を伝えたい!」→「お前、無断録音とかアウトじゃね?」
要するに「正義のための違反は許されるか?」という古典的なジレンマだ。日本では「ルールは絶対守るもの!」という発想が強いが、歴史を見れば「ルールが間違っていた場合、それを破ってでも変えるべき」だったケースは山ほどある。
2. 歴史が証明する「生きてるうちは叩かれる法則」
ここで登場するのがローザ・パークスだ。1955年、アラバマ州のバスで白人に席を譲らなかった彼女は、当時「生意気なビッチ」として猛バッシングを受けた。だが、その行動が公民権運動のきっかけとなり、彼女は後に「英雄」として語られることになる。
しかし、ローザ・パークスの銅像が建てられたのは、彼女の死後だ。2013年になってようやくアメリカ合衆国連邦議会議事堂に像が設置され、さらに2019年には彼女が座席を拒否したモンゴメリーの地にも銅像が建った。
これはよくあるパターンだ。社会変革者はその生存中に評価されることは稀で、「えっ、俺が死んでからやっと称賛するの? Why?」という状態になる。伊藤詩織も、おそらくそのパターンに乗ると私は見ている。
3. 日本は「外圧」がないと変われない国である
「いや、でも日本でそんな変革が起こるのか?」と疑う人もいるかもしれない。しかし、日本の歴史を見ればわかる。日本は基本的に 「外圧」がないと変われない国 である。
- 幕末の開国 → 黒船が来なかったら、たぶんまだ江戸時代だった
- 戦後の民主化 → GHQが来なかったら、まだ戦前の価値観が続いていた
- 高度経済成長 → アメリカが冷戦のために日本を支援しなかったら、経済発展は鈍かった
つまり、日本は「自分で考えて変わる」のではなく、「外からの強制力」で動く国なのだ。そして、この構造はジェンダー問題にも当てはまる。日本のジェンダーギャップ指数の低さが国際的に批判され、外資系企業がジェンダー平等を重視するようになると、日本企業も「じゃあ、ウチもやらなきゃ…」と渋々追随する。
伊藤詩織の映画が海外で評価され、それが国際的な圧力となれば、日本の法制度も変わる可能性が高い。そして、50年後には「なんかこの人、すごいことしたよね?」と世間が気づき、銅像が建つことになるのだ。
4.なぜ2080年代なのか?
統計的に考えると、伊藤詩織が2074年頃にこの世を去る可能性が高い。彼女は現在35歳、そして日本人女性の平均寿命は約84歳。漫画『デスノート』ではないが、彼女の持ち時間はあと50年と見積もれる。
次に、「死んだらすぐに銅像が建つのか?」 という問題が出てくるが、答えはNOだ。
例えばローザ・パークスの銅像が建つまでに死後8〜14年もかかっている。理由はシンプルに3つある。
- 政治的議論が長すぎる問題
「本当に彼女の銅像を建てるべきなのか?」という永遠の討論会が開催される。
- 社会的認知の安定化問題
存命中や死後直後は、「彼女の評価って本当に定まってるの?」という話になる。
→ 「今建てると批判が出るかもしれないし、もうちょい寝かせよう」…と、社会の「発酵期間」とでもいうべき時間が必要になる。
- 技術的に銅像を作るのはめちゃくちゃ時間がかかる問題
いざ「さあ、作ろう」となっても、
→ 設計とデザインの確定(このポーズでいいのか?服装は?台座は?)
→ 鋳造プロセス(伝統的なロストワックス製法なので、じっくり時間かけなきゃ・・)
→ 組み立て・仕上げ(パーツをつなぎ、磨き、細部を調整しなきゃ・・)
→ 設置工事(基礎工事や周辺の整備もして、ようやく完成)
…と、合計10年くらいかかるのが普通である。
つまり、2080年代に入らないと完成しない可能性が高い。
5. なぜ神奈川県なのか?
この理由は単純だ。彼女の出身地だから である。
歴史的に見ても、偉人の記念碑はその出身地に建てられるのが普通だ(坂本龍馬=高知、西郷隆盛=鹿児島)。加えて、神奈川県は比較的リベラルな地域であり、ジェンダー平等に関心を持つ自治体でもある。
結論
そもそも、変革者とは「生きてるうちには評価されない」という厄介な宿命を背負っている。本人がまだ元気なうちは「賛否両論」という名の大乱闘が発生し、死後しばらくしてから「やっぱりあの人はすごかった」と言われ始める。そして、気づけば銅像が建つ頃には、「あれ? なんでこの像、もっと前に建てなかったの?」と過去の社会の遅さに苦笑いする未来が待っている。
「生きてる間に評価されないのが変革者の宿命」なら、2080年代、未来の日本に伊藤詩織の像が建っていても何の不思議もない。私は、そう思う。