幻想経済学——トランプの「Green Card Plus」と人権市場の未来

 

 

ドナルド・トランプがまたもや世間を騒がせている。「Green Card Plus」という新たな移民政策のアイデアを打ち出したのだ。これはアメリカ国籍を5百万ドル(約7億円)で販売するという計画らしい。これは賛否両論を巻き起こしているが、少し引いて眺めると、これは国家という幻想をマネーという別の幻想と引き換えにする行為であることがわかる。

 

「アメリカという国は存在する」と多くの人が信じているからこそ、アメリカという国家は成り立っている。同じように、誰もが「ドルには価値がある」と信じているからこそ、紙切れやデジタル数字の羅列に経済を動かす力が宿る。つまり、国籍とマネーの取引とは、幻想Aを幻想Bと交換する行為にすぎない。一言でいうと「幻想を幻想と交換する」という、いかにも人間がやりそうな取引の一形態として見ることができるのだ。

 

では、この取引に関心を示さない動物は誰か? そう、猫だ。猫は「アメリカ国籍を7億円で買えますよ」と言われても、「は? 魚くれよ」としか思わないだろう。つまり、猫には国家の概念もマネーの概念も理解できない。ひょっとすると、「信じる者がバカを見る世界」に巻き込まれずに生きている猫のほうが、ずっと賢いのかもしれない。

 

この話を「トランプの奇抜な思いつき」として処理するのは簡単だが、歴史を振り返ると、実は人間はずっと昔から幻想を売買してきた。国籍のみならず神や人権も人間の社会的合意によって成立したフィクションだが、それらはすべて売買の対象となった過去を持つ。

 

たとえば中世ヨーロッパでは、「この紙を買えば罪が許されますよ!」という魔法のチケット(贖宥状とも呼ぶ)が売られていた。これにブチ切れたマルティン・ルターが「カトリックはマジで調子乗りすぎ」と反旗を翻し、宗教改革を引き起こした。

 

「すべての人が平等である」という崇高な理念も、実は歴史の中では市場に載せられてきた。たとえば:

 

o  古代ローマでは、奴隷が金を貯めて自由市民になれた

 

人身売買(非合法だが現在もこっそり行われている)

 

o  ギリシャやポルトガルの「ゴールデンビザ」制度(お金を払えば市民権ゲット)

 

 

つまり、「人権は売買の対象にならない!」というのは、近代以降に作られたフィクションにすぎないのでは? という疑問が湧いてくる。

 

では、このままいくと未来はどうなるのか? どうやら、「人権市場」が誕生し、いくつかのプレミアムプランが用意される未来が見えてくる。

 

「一級市民権」 vs. 「二級市民権」 100万ドル払えば「言論の自由」がフル装備、追加オプションで「プライバシー保護」や「移動の自由」もアップグレード可能。 一方、庶民には「SNSで政府批判をすると即バンされる」無料版が提供される。

 

「週休二日の権利」 vs. 「追加給料と交換」 低所得労働者は「休みを買う」か「給料と引き換えに週7日働く」かの選択を迫られる未来。すでにブラック企業がこのシステムを先取りしているとも言われる。

 

「寿命延長サービス」 遺伝子治療とナノマシンで富裕層は150歳まで生きる時代。貧困層は「30年ローンで寿命を10年延ばせます!」という謎のローンを組まされる未来が到来する。

 

これらのアイデアはSFに聞こえるかもしれないが、実際のところ、医療アクセスや教育の質、法の下での平等はすでに「金で買える特権」になっている。未来ではそれがより明確な「パッケージ商品」になるだけの話だ。

 

トランプの「国籍販売」は、実は目新しい話ではなく、「幻想の売買」という人類の伝統に忠実なアイデアだった。それを追求すると、「人権市場」の未来が見えてくる。そして、その先に待っているのは「社会の超資本主義化」と「金で買える人生アップグレード」だ。果たして、この未来はユートピアなのか、それともディストピアなのか?ただひとつ言えることは、猫はそんな世界のことなどどうでもよく、ただ日向ぼっこを楽しんでいるということである。