私たちの存在理由は、宇宙の破壊である

要約
本エッセイは、人間の存在意義を「宇宙のエントロピー増大を加速させるもの」と定義する。熱力学第二法則に基づき、エントロピー(乱雑さ)が時間と共に増え、宇宙は「熱的死」に向かうと説明。生命は局所的な秩序として、渦のように全体の無秩序を早め、特に人間は自然破壊でその役割を果たす。「生きるだけで宇宙に貢献する」と楽観的に捉える見方を示しつつ、時間不存在、物理法則の変化、ワームホール移住を「逃げ道」として提案する。葛飾北斎の引っ越しグセを例に、人類が宇宙を散らかし続ける未来をユーモラスに描く。破壊が人類の機能であると逆説的に肯定しつつ、希望とユーモアを交えた思索を展開する。
本文はここから
<生命が存在するのは、地球(および宇宙)をさっさと崩壊させるため。とりわけ発達した脳をもつ人間は、自然を徹底的に破壊する才能に恵まれている。地球の環境を荒らし、資源を食い尽くすのに飽きることがない。だからこそ、環境保護が必要なのだ。なぜなら環境が完全に破壊されてしまうと、この優秀な「破壊のエキスパート」である人類自身が絶滅してしまうから。>
これを読んで、「何をバカなことを」と笑った人もいるだろう。しかし、これは著名な脳科学者、池谷裕二教授(東京大学薬学部)が著書に書いていることで、物理学的な裏付けもある。
上記の風変わりなアイデアの起源は熱力学の第2法則であり、これは「エントロピー」というキーワードを通して理解できる。
エントロピーとは、かんたんに言うと「乱雑さ」の単位だ[脚注1]。たとえば、私のような面倒くさがりは部屋を片付けないので、部屋がどんどん散らかっていく。机の上は謎の書類の山、床には靴下が点在し、テーブルの隅には先月使ったコップが鎮座している。これを「エントロピーが高くなった」と表現する。要するに「放っておくとひどいことになる」という話である。宇宙全体も、時間がたつほど、乱雑な状態になっていく。そして最後は分子の熱運動が存在しない「熱的死」と呼ばれる状態になる。
熱的死とは、宙全体が冷え切り、星々は燃え尽き、何も生み出せない暗黒の虚無である。そこには、いかなる動きもなければ、光もない。もちろん生命もない。そこでは時間すら意味を失い、無限に近い「静止状態」となる。これが熱的死である。
つまり、「世界も宇宙も、ほうっておけばどんどん乱雑になっていく」という話だ。しかし、そんな乱雑好きな宇宙の中で、なぜか例外が存在する。たとえば人体だ。なぜ、そんな例外が宇宙に存在するのか。まずは池谷氏が語る「渦」の話を見てみよう。
たとえば、洗面台に溜まった水を抜くときに渦ができる。この渦を手で乱してみると、水が流れる速度が遅くなり、完全に排水されるまでやたら時間がかかる。渦は、水が効率よく流れるのを助ける役割を担っているのだ。物理の言葉で言いかえれば、「渦は水の位置エネルギー低下を加速させる」または「いち早くエントロピー(無秩序)を増大させる」となる。
生命とは、そんな渦のようなものだ。渦という「秩序」が部分的に存在するおかげで、洗面台の水という「全体」が無秩序に向かう速度が早くなることと同様に、生命という「秩序」が局所的に存在するおかげで、地球(または宇宙)という「全体」は、より早く壊れていく。中でも人間の自然破壊力は圧巻だ。森を切り開き、高速道路を敷き詰め、化石燃料を燃やして空を灰色に染める。そんな「芸当」ができるのは人間だけだ。要するに、私たちが生きているだけで「エントロピーの増大」という、「宇宙の摂理(望み?)」を実現する上で、たいへん役立っているのである[脚注2]。
あまり元気が出る話ではない気がするが、池谷氏のすごいところは、この話を聞いて元気をなくすどころか、「むしろ勇気をもらった」と語っている点だ。彼はこう述べている。
<私たちは生きているだけで存在する価値がある、とも言える。・・「生きるってなんてすばらしいのだろう」とうれしくなった。宇宙からしてみれば、人間に上下関係や差別はなく、みな平等だ。金持ちでもそうでない人も、天才もそうでない人も、優しい人もそうでない人も、誰もが等しく、宇宙の役に立っている。すばらしい。生きていることには意味がある>
なかなかに前向きな考え方である。さらに、冒頭の話にあった「環境破壊が悪である理由は、人類が効率よく環境を破壊し続けるためには存続する必要があるから」という独特の視点も興味深い。とはいえ、こうした考え方をポジティブに受け止められる人はそう多くないのではないだろうか。
そもそも、「エントロピーの増大には抗えず、最後には宇宙が熱的死を迎える」という未来図は、どうにも悲観的に映る。そんなシナリオを嫌う我々「普通の人たち」に、何かしら希望の光を示すことはできないだろうか。そう考えた私は、以下の3つの「逃げ道」を思いついた。
1.時間は存在しないかもしれない
熱力学第二法則は「時間が進むにつれてエントロピーが増加する」という法則だ。しかし、時間そのものが存在しない、という考え方がある。この前提が崩れることで、エントロピーの増大という現象そのものが無意味になる[脚注3]。これについては、以下の点を考えてみると面白い。
・時間に特化した感覚器官の不在:人には、「時間」を知覚するための専用の感覚器官がない。光を捉えるために眼があり、音を聴くために耳があるのとは対照的に、時間に対応する感覚器はどこにもない。このことは、時間の知覚が、感覚ではなく精神的構成物にすぎないことを示唆している。
・物理理論における時間の正体:時間は、多くの物理理論にあらわれるが、そこでは「過去から未来への流れ」は必要とされない。時間の方向を逆にしても、物理法則は成立する。これは、「過去・現在・未来」がすべて等しく実在するという可能性を示す。時間とは流れではなく、空間と同様に、ひろがりを持つ次元ではないのか。そこでは、人もまた時間軸に沿って引き伸ばされた存在にすぎない。
・記憶と時間知覚の関係:記憶能力を強化されたマウスの実験において、「時間が止まっている」状態が観察された。過去の記憶を忘却できないマウスは、「過去」と「現在」の区別がつかなくなる。そのことは、時間の流れの感覚が記憶と密接に結びついていることを示している。記憶が薄れていくことで、我々は「時間が経った」と感じる。もし記憶が完全に停止すれば、変化を知覚できず、時間が逆行していたとしても、それに気づくことすらできないだろう。
2.物理法則は変わりうる
哲学者の中には、物理法則は固定されたものではなく、将来的に変わる可能性があると考える者もいる[脚注4]。もし物理法則が変わるなら、エントロピーが増加し続けるという法則も例外ではないだろう。ただし、熱力学第二法則が変化する場合、時間の矢(未来に向かう時間の方向性)も失われるため、私たちの「時間」概念が揺らいでしまう。
3.ワームホールで宇宙を引っ越す。
科学技術が進歩すれば、ワームホール[脚注5]を使って現在の宇宙から別の宇宙へ逃げ出すことが可能になるかもしれない。理論上は、別の宇宙に移動し、そこで新たに暮らしながら宇宙のエントロピーを増大させる。もしその宇宙も死にそうになったら、再びワームホールを使ってさらに別の宇宙へと引っ越す、ということを繰り返せばいい。このようにして、熱的死を回避し続けることができる。
話は飛ぶが、江戸時代の画家・葛飾北斎(1760? – 1849)は掃除が大の苦手だった。部屋が散らかるたびに新しい家に引っ越し、なんと90回近くも住居を変えたという。その引っ越し癖の果て、あるとき彼は、うっかり以前住んでいた散らかった家に戻ってしまった。この出来事をきっかけに、何かを悟ったのか、それ以降は引っ越しをやめたと言われている。
将来の人類も、宇宙が「散らかる」たびに新しい宇宙に引っ越し続け、いつかは自分が散らかした宇宙に戻るのではないだろうか。きっと人類の歴史は、その宇宙で終わるのだろう。
脚注
[1]
熱の流れる向きが温度の高低で決まることを数式で表したのは、19世紀の物理学者ルドルフ・クラウジウス(1822 – 1888)である。彼は、移動する熱量と温度を組み合わせて「エントロピー」を定義した。この定義によれば、高温の領域から低温の領域へ熱が流れるときにはエントロピーが増える。
「エントロピーが何を意味するのか?」に光を当てたのが、後の物理学者ルートヴィヒ・ボルツマン(1844 – 1906)である。彼の研究によれば、エントロピーとは「たくさんの物がエネルギーをランダムにやりとりしているとき、エネルギーの分配が偏った状態(つまり、秩序だった状態)から、確率的に実現されやすい状態(つまり、乱雑な状態)へと自然に移行する傾向を示す量」とされる。平たく言えば、「散らかりやすさの指標」とでも呼べるだろう。
つまり、エントロピーとは、エネルギーの分配が「どれだけ自然に起こりやすいか」を表す指標なのだ。例えば、部屋が片付いている状態(秩序)より、散らかっている状態(乱雑)の方が圧倒的に実現されやすい。なぜなら、散らかるパターンの方が、片付いているパターンよりも数が多いからだ。宇宙も同様に、時間がたつにつれて「片付いた状態」から「散らかった状態」へと進む。それがエントロピー増大の本質である。
この考え方を知ると、部屋を片付けない理由すら物理学的に正当化できる気がしてくるのだから、物理学の力は侮れない。
[2]
このあたりの考え方は、1977年にノーベル賞を受賞したイリヤ・プリコジンの「散逸構造論」に基づいている。この理論の中核となるのが「散逸」という概念だ。散逸とは、エネルギーが閉じ込められることなく外部に開放される現象を指す。このような仕組みを持つシステムは「非平衡開放系」と呼ばれる。
生物システムもまた、典型的な非平衡開放系である。私たちの体は、物質やエネルギーを絶えず環境と交換しながら存在している。この過程で、無秩序な状態(エントロピーが高い状態)へと移ろうとする自然の傾向に逆らい、秩序(エントロピーが低い状態)を維持しているのだ。しかし、生命は単に現状を維持するだけではない。エントロピー増大の波が押し寄せるよりも早く、自らを壊し、新たに作り替えるという「動的平衡」のサイクルを繰り返している。こうして秩序を再構築することで、生命はその存続を可能にしているのである。
もっとも、このように生物がエントロピーと格闘しながら秩序を維持しているとしても、宇宙全体として見れば、エントロピーは依然として増え続けているのが現実だ。結局のところ、私たちの存在そのものが、エントロピー増大という壮大なドラマの一部なのだ。
[3]
もし時間が存在しないと仮定するなら、エントロピーの「増加」や「減少」という概念そのものが成り立たなくなる。なぜなら、エントロピー増大とは、時間が前に進むこととほぼ同義だからだ。エントロピーは未来に向かう方向にのみ増大する性質を持ち、それによって「時間の矢」の方向性が定まる。
一方で、物理法則を記述する方程式は、過去にも未来にも適用可能な形で書かれる。すなわち、理論上は時間がどちらの方向にも進むことが可能なはずだ。しかし、現実の宇宙ではなぜか「未来に向かう現象だけが観測される」という不思議な性質がある。この奇妙な性質を堂々と法則として定めているのが、熱力学第二法則、つまり「エントロピー増大の法則」である。この法則は、時間が一方向にしか進まないことを示す唯一の物理的原則であり、いわば「宇宙の片道切符」を強制的に発行する役割を担っている。もちろん、時間が存在しないと考えると、この片道切符すら無意味になるわけだが。
[4]
フランスの哲学者クァンタン・メイヤスー(1967年生)は、「物理法則なんて、実は偶然の産物かもしれない」と大胆に主張する人物である。彼の理論は、数学の集合論を使い、「絶対的な必然性」という概念をバッサリ否定し、現実は気まぐれな偶然の積み重ねでできていると説く。つまり、「物理法則が過去に変化した形跡がないからといって、それが未来にも変わらないなんて誰が保証できる?」という、哲学的挑発だ。
メイヤスーによれば、私たちが「これは普遍の真理だ!」と信じて疑わない物理法則も、実はローカルルールに過ぎないらしい。あたかも、「この街のラーメン屋はいつも同じ味を保つ」と信じ込んでいる地元民が、ある日突然メニューがカレー専門店に変わっているのを目撃するようなものだ。
[5]
ワームホールを作り出せれば、熱力学第二法則に逆らうことが可能になるかもしれない。ワームホールとは、空間と時間をトンネルのようにつなぐもので、理論上、それを通じて別の場所や時間、さらには別の宇宙へ移動することもできる仕組みである。しかし、ワームホールを安定させるには、「負のエネルギー」という胡散臭そうな代物が必要となる。
負のエネルギーとは、通常のエネルギーとは反対の性質を持つもので、空間を押し広げたり、重力を逆に働かせるような効果を持つとされている。これがどのように生じるかを説明するのが、「量子カシミール効果」だ。これは、近づけた金属板の間で、量子の揺らぎによって生じる微弱なエネルギー変化をさす。ここでは通常では存在しない「負のエネルギー」が一時的に発生することが示されている。
もしこの負のエネルギーをうまく利用してワームホールを安定させる技術が開発できれば、我々はエントロピーの呪いから解き放たれ、若くてピチピチしたエントロピーが低い別の宇宙へ引っ越すことができるかもしれない。そうなると結局、人類の歴史とは「散らかった部屋から散らかった部屋への引っ越し」を繰り返すだけなのかもしれない。ワームホールは「宇宙を超えた避難路」というより、「宇宙規模の片付けサボりマシン」と呼ぶべきかもしれない。